新規登録

シニアコム

新規登録

美しく活きる。 第25回

シニアコム編集部がMASTER会員さんにライフスタイルをインタビュー。

50歳になった記念にシニアコムに登録しました

インタビューを受けてみようと思った動機は?

ちょうど50歳になった日の記念に、シニアコムに登録しました。50歳という自分の人生で考えもしなかった年代に入って、でも前向きにとらえるために、何か自分でできることはないかなと思っていたんです。そこでシニアコムと出会い、このインタビューのコラムに目が行きまして、ここは会員がサイトに参加できるんだと思い、おもしろいなと思って応募しました。雑誌とかでも、今50歳以上を対象にしているものが多く出ていますけど、読者参加のページが多くあるほど人気になると聞いたことがあります。それだけ、読者が参加できるというのは楽しいんだろうなって思いますね。

どういったお仕事をされてきましたか?

短大を卒業後、日本の電機メーカーに6年間勤めました。今から考えると、子どものまま始めてしまったような社会人生活で、甘い意識のまま入っていたので、やることなすことミスだらけですよね。それでも温かく見守ってくださった諸先輩や上司の方々の心の広さは、今さらながらすごいなと思いますし、その出会いは、いまでもお付き合いがあるほど素晴らしいものだと思います。今の私があるのは、その6年間がベースになっているからこそと思いますね。その後は、もう一歩ステップアップしたいと思い、全く違う環境での挑戦と思い転職、営業アシスタントや秘書も経験しました。一つのところで定住しているのが合わないのか、慣れるとまた違うところと思ってしまうんですよ。後から考えると、結構無駄が多い人生だなって(笑)。

楽しく思えないのは自分のせい

その後、海外に住むことに?

結婚して、夫の海外転勤に帯同することになったんです。旅行が好きだったので、海外にはよく行ってたんですが、暮らすというのは初めて。行き先はインドネシアのジャカルタ、国のこともよくわからないし、英語圏ではないので、正直気持ちは落ちていましたね。私は女性として生まれても、経済的にも精神的にも夫からは自立したいと思っているんです。だから、自分の仕事を辞めて海外についていくこと、現地では働くことはできないので、本当に覚悟して行きました。最初は生活するのが本当に大変でした。言葉の問題もありますし、治安上、家から一歩も出られない、今みたいにインターネットもないような時代だったので、毎日孤独との戦いでしたね。一日夫以外の人としゃべらないというのがずっと続いていました。それでやはりノイローゼ状態になってしまったんです。それを見かねた夫が、日本に出張で一時帰国するから、1回帰る?って声かけてくれたんです。1週間日本に帰り、友達との約束をいれまくりまして、とにかく日本の生活を謳歌したんですね。最終日にふっと気持ちがよぎりまして、私はインドネシアに永遠にいるわけじゃない、帰ってきたらこんなに友達がいて、またこの生活に戻れる、って。そしたら数年くらいインドネシア生活をやってみればいいじゃないって思ったんです。それからインドネシアに戻り、インドネシア語を猛勉強しました。自ら家庭教師を探し、頼み、やれる勉強をすべてしましたね。その後は生活が180度変わりましたね。すべての物の見方が変わりました。結局、楽しく思えないのは、自分のせいだったと、どの場でもやろうと思えば、自分自身で変われるものなんじゃないかって、なんでもやってみようという気持ちが非常に強くなりました。

それが30代半ばごろ、波乱万丈な人生ですね。

結局、インドネシアでは2年半暮らしました。その後帰国し、日本語教師の資格を取ろうと養成学校に通って資格を取得、日本語学校の非常勤講師を3年ほど勤めました。そうしたら、夫の海外転勤がまたありまして、次はインドのデリーに行くことになったんです。一日たりとも気が楽に暮らせることはない、インフラもまだまだですし、環境は日本人の感覚では信じられないようなレベルでしたので、非常に過酷な体験だったと今でも思います。インドネシアと同じくらいがんばろうと思って行ったんですが、その気持ちもなえるくらい毎日の生活が厳しいものがありました。正直、気分が晴れることはありませんでしたね。それでかなりストレスを溜めてしまって…。2年半ほどの暮らしでしたが、その最後の方で身体の異変に気付きました。帰国を待ち、病院に行き、1回目の診断では良性だったんですが、半年後の診断で悪性が出てしまい、ガンだということが分かりました。40歳半ばの頃です。まずは外科手術をし、ガン細胞をとるところから治療が始まりました。これはもう運命的なのですが、帰国して一つの仕事が決まった次の日に、ガンの診断が下りたんです。入社日も決まっていました。手術をしてもがんばればその会社に入社できそうだったので、なんとしてでもその会社に行こうという気力が、自分自身を奮い立てるかもしれないと思い、絶対よくなってやろうという一つの目標にして、治療に専念しました。結果、予定通り入社することができたんです。夫の支えもありましたが、周りの人にも本当に恵まれてきた人生だったと思いますね。今は経過観察段階に入り、診察に通っています。

日常を大事に丁寧に積み上げていくことが一番の幸せ

壮絶な50年間でしたね。

ガンの診断を受けたときに、私は50歳まで生きられるのかなと思いました。私の病気の場合、生存率は10年がベースと言われていたので、まずは50歳まで生きるというのを目標にしようと思ったんです。それで、50歳を迎えられたということは、大きなハードルを越えられた、すっごく幸せなことだなと思ったんですよ。10年後、15年後と具体的なプランはないのですが、今は50歳を迎えてすごく自分の気持ちが楽になって、日々大事に暮らしていくという積み上げが、もしかして一番幸せなんじゃないかと思います。普通のことというのが、病気になると一気に普通ではなくなってしまう。日常を大事に丁寧に送っていくことが幸せなことだと、50歳になってつくづく感じています。

最後にシニアコムを見て下さっている方々にメッセージをお願いします。

闘病している時に、夫が読者モデルの話を持ってきてくれて、初めは私なんて、って思ったのですが、気持ちのハリになるかもしれないと思い挑戦しました。そうしたら、私の世界が華やかに広がりました。そこから不思議とつながって、今も少しですがお声かけ頂き続けています。50歳を過ぎても決して女性として終わりではない、50歳を過ぎてるからこそできることもあるのだと思います。私みたいな若輩者が言うのもなんですけど、歳をとると肉体的にはいいことはあまりなくなってしまう。それをあえて無理にあがなうことなく受け入れながら、その中でできる楽しみを見つけていくことが大切なのではないかと思います。50歳のターニングポイントを迎えたからこそ精神的に楽になる部分もきっとあって、それをどうとらえるかは、やはり自分次第なのではないでしょうか。